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ある主婦の徒然草

図書館大好き主婦の読書メモと日々の記録

ミュシャの真意

あのフランスっぽい感じの、セクシーかつメルヘンティックな色合いと画風のミュシャ
ワタクシはあまり絵に詳しくはないし、ミュシャも名前と有名か作品しかしらない。

たまたま深夜のNHK(朝だけじゃないんかい!)をぼんやり観ていたら、見覚えのあるヨーロッパの街中が。
プラハだ!

住んでいたのはベルリンで、プラハは一回しかいかなかったのに、なぜかすごく印象深い街だった。
美しいのに何処かアンニュイで、もの悲しい空気すら漂う。
もの悲しいのは、チェコの悲惨な歴史を僅かではあるけど知っていたからかもしれないけど。

ミュシャをずーとフランス人だと思ってました(笑)
あのテイスト、ばっちりがっちりフランス産な感じじゃないすか!?

でも、故郷のプラハに帰ってからのミュシャの作品をみると、フランスでの成功はもしかしたらすべて、故郷を再興するための踏み台だったんじゃないかとすら思う。

プラハの春』だったかな。
チェコ人は歴史的に侵略と支配でまみれてた。
その文化も言語も芸術も政治と思想も、すべて弾圧されてきた。
チェコ人は愛国心が強い。
自国での自由を奪われて、思考も制限されて。

ミュシャはドイツ支配下の時代に、反逆罪の罪でゲシュタポにとらえられる。原因の1つが、この『スラブ叙事詩』だった。
拘束中に体調を崩し、ミュシャは家に帰ることなく亡くなった。

チェコには自国のプライドを守るために、犠牲になったひとが一体どれだけいたのだろう。

ミュシャは、『私は血や暴力に訴えた絵は書かない。目指すのは、平和の架け橋になることだから』
というような言葉を残している。
実際、チェコの人は弾圧下に置いても極めて文化的に抗議していたという。
血や暴力ではなく、芸術や文学で権力に正々堂々抵抗していた。
実際、スラブ叙事詩の絵の何処かに必ずなにかもの言いたげに鋭い眼差しをこちらに向ける人物が描かれている。
沢山の民衆のなかに、その目は爛々と光を放つ。
驚き、恐れ、怒り、絶望。

ミュシャのポリシー、暴力ではない形での抗議だ。
その目をみれば、言葉や力での攻撃など何一つ核心に迫ってない、検討違いな事であると思いしるだろう。
静かで穏やかな民族が、ドイツという大国に恐れを抱かせたのは、力ずくでの制圧に芸術や文化で抵抗しようとする気高いプライドだったのではないだろか。

その、潔さと人間としての品の良さは、日本人も見習いたいところかもしれない。
日本人というか、ワタクシ個人かな(笑)

ワタクシが自分に愛国心の有無を考えることはあまりない。いやほとんどない。
それは日本が侵略とはほぼ無縁な歴史を送ってきたからでしょう。
日本も国内乱はあった。でも、ナショナリズムを脅かされる経験はないといっていいんじゃないかな。
アメリカの戦後の過干渉は、侵略や弾圧とはちょっと違うきがするし。

スメタナが、『我が祖国』なんてタイトルつける、その自国に対する切実な感覚を理解するには、まずはチェコの歴史&スメタナ&ミュシャがいいかもしれない。

ちなみに、ワタクシはドナウ川を眺めながら頭のなかでは『我が祖国』を流してしまうようなアホだったりしました。(二十歳の時分)
ナショナリズムなど考える気はミジンコほどもなかったのだ。

嗚呼、日本は平和な国なり。