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ある主婦の徒然草

図書館大好き主婦の読書メモと日々の記録

ミュシャの真意

あのフランスっぽい感じの、セクシーかつメルヘンティックな色合いと画風のミュシャ
ワタクシはあまり絵に詳しくはないし、ミュシャも名前と有名か作品しかしらない。

たまたま深夜のNHK(朝だけじゃないんかい!)をぼんやり観ていたら、見覚えのあるヨーロッパの街中が。
プラハだ!

住んでいたのはベルリンで、プラハは一回しかいかなかったのに、なぜかすごく印象深い街だった。
美しいのに何処かアンニュイで、もの悲しい空気すら漂う。
もの悲しいのは、チェコの悲惨な歴史を僅かではあるけど知っていたからかもしれないけど。

ミュシャをずーとフランス人だと思ってました(笑)
あのテイスト、ばっちりがっちりフランス産な感じじゃないすか!?

でも、故郷のプラハに帰ってからのミュシャの作品をみると、フランスでの成功はもしかしたらすべて、故郷を再興するための踏み台だったんじゃないかとすら思う。

プラハの春』だったかな。
チェコ人は歴史的に侵略と支配でまみれてた。
その文化も言語も芸術も政治と思想も、すべて弾圧されてきた。
チェコ人は愛国心が強い。
自国での自由を奪われて、思考も制限されて。

ミュシャはドイツ支配下の時代に、反逆罪の罪でゲシュタポにとらえられる。原因の1つが、この『スラブ叙事詩』だった。
拘束中に体調を崩し、ミュシャは家に帰ることなく亡くなった。

チェコには自国のプライドを守るために、犠牲になったひとが一体どれだけいたのだろう。

ミュシャは、『私は血や暴力に訴えた絵は書かない。目指すのは、平和の架け橋になることだから』
というような言葉を残している。
実際、チェコの人は弾圧下に置いても極めて文化的に抗議していたという。
血や暴力ではなく、芸術や文学で権力に正々堂々抵抗していた。
実際、スラブ叙事詩の絵の何処かに必ずなにかもの言いたげに鋭い眼差しをこちらに向ける人物が描かれている。
沢山の民衆のなかに、その目は爛々と光を放つ。
驚き、恐れ、怒り、絶望。

ミュシャのポリシー、暴力ではない形での抗議だ。
その目をみれば、言葉や力での攻撃など何一つ核心に迫ってない、検討違いな事であると思いしるだろう。
静かで穏やかな民族が、ドイツという大国に恐れを抱かせたのは、力ずくでの制圧に芸術や文化で抵抗しようとする気高いプライドだったのではないだろか。

その、潔さと人間としての品の良さは、日本人も見習いたいところかもしれない。
日本人というか、ワタクシ個人かな(笑)

ワタクシが自分に愛国心の有無を考えることはあまりない。いやほとんどない。
それは日本が侵略とはほぼ無縁な歴史を送ってきたからでしょう。
日本も国内乱はあった。でも、ナショナリズムを脅かされる経験はないといっていいんじゃないかな。
アメリカの戦後の過干渉は、侵略や弾圧とはちょっと違うきがするし。

スメタナが、『我が祖国』なんてタイトルつける、その自国に対する切実な感覚を理解するには、まずはチェコの歴史&スメタナ&ミュシャがいいかもしれない。

ちなみに、ワタクシはドナウ川を眺めながら頭のなかでは『我が祖国』を流してしまうようなアホだったりしました。(二十歳の時分)
ナショナリズムなど考える気はミジンコほどもなかったのだ。

嗚呼、日本は平和な国なり。

魂の第九

桜が美しい🌸時期ですね。
花粉症さえなければもっと自然と戯れたい…
現実はただの運動不足です。
雨が続いて、外出すら憂うつな今、楽しみなのは長男の幼稚園でのお母さん友達とのお花見くらいなもんで(^-^;

桜の季節になるとワタクシには必ず思い出す記憶がありまして。
桜で有名な地元の公園で、満開の桜を観ながらたくさん写真を撮ったんです。母と。

なんでたくさんの写真を撮ったのか…
それは、その時の母が肺がんの末期で余命が幾ばくもなかったからでした。
それまでの人生で、一番悲しい花見だった。
それから、ワタクシにとっては桜は綺麗だな~と思うと同時にどこか儚く哀しい象徴になっている。

桜と母の記憶を呼び起こしたのは、今朝のNHK(またか!)でガン患者と家族が歌う第九の特集をやっていたからだ。

大きなコンサートホールで響く力強い歌声。
合唱しているのは、ガンと戦う患者と支える家族というから驚きだ。

ワタクシも母とガンを戦った経験がある。
ガン治療は本当に辛い。
治療自体の苦痛に加え、自分の目指す先にあるものが゛死゛であるのが大きい。
光を目指すなら、どんなに苦しくても踏ん張れる。
しかし、頑張った先にあるものが゛死゛だったら?
何を拠り所にして頑張ればいい?

ワタクシはまだ結婚してまもなくだった。
自分も過労で満身創痍だったから、母の異変に気づくのが遅かった。

末期ガンとハッキリ言われ、手術も放射せん治療もできないと言われた。
その頃、仕事の過労で神経衰弱していたワタクシは、クスリを飲んでいて意識がぼんやりとしていたが、母のガン告知だけはハッキリと絶望の記憶として覚えてる。
それだけ衝撃的だったんだろう。

唯一の望みである、遺伝子の型に合わせた抗がん剤投与というのがあって、それを飲むと治るわけではないが死期をわずかに送らせることができる。
その遺伝子の型に、母はあっていて抗がん剤を服用していた。
しばらくはまるでガンの症状が嘘のようになくなった。
止まらなかった咳がなくなり、顔色も以前のように戻った。ワタクシたちは告知前の生活に戻ってつかの間ガンであることも忘れられた。

しかし、現実は甘くなかった。
母は、徐徐に頭痛を訴えるようになった。
寒い1月半ばのころ。
゛頭への転移゛
肺がんはリンパ腺と通じて脳に行くコースが主流という。
恐らく主治医は最初からこの行程が見えていたと思う。でもワタクシは奇跡的に母のガンが、何かの神がかった力で寛解するとどこかで信じてた。
それこそ、大人のファンタジーですよね。

母の命のカウントダウンはすでに告知を受けたときから始まってたのに。
どーしてもその事実が受け入れられない。

特集で出ていたガン患者の妻と夫をみて、あの頃にタイムトリップしたきがした。
『妻の1年と自分の1年は全くちがう。でもなるべく長い時間を過ごしたいと思う。』
そう。寄り添う家族なら誰だってなるべく長く同じ時間を過ごしたいと願う。
だから一緒に歌うのだ。
耳が聞こえなくても、自身の置かれた運命がどれほど悲惨でも、魂のおもむくままに作曲し続けたベートーヴェンと己を重ねて。
みんな哀しみや不安や恐れも、すべて力のかぎり歌声で放って。
それが゛魂の第九゛。

ワタクシも母と参加したかったな。
ガン患者は孤独だ。
家族や友人は明るい未来がある。
でも自分の先には死しかない。
ガンの最期は苦しい、とかなまじ変な知識があるからなおのことつらい。
実はガン患者の多くは、そのストレスから精神疾患にかかる。
ガン治療に加えてカウンセリングなど、ワタクシも母と常にガンセンターをうろうろしていた記憶が強い。死に行く母と、産まれてくる息子に挟まれたワタクシ。あの当時は本当に辛かった。
その時ワタクシ、長男妊娠7ヶ月。

自分の出産の心配ではなく、母が生きているうちに長男をなんとしてでも産まなくては!という使命感があった。

見るものやること、すべてやりおさめ。
いまは母が好きだったカラオケも、人生最期のイチゴ狩りも行きたくない。
本当は桜すら哀しい。

ガン患者と家族の孤独を和らげる、または哀しみや不安をパワーにできる、こういったプロジェクトをこれからも期待したい。

働き方の再検討を

入学式、始業式の時期になった🌸
最近サボりぎみな読書を気にして、ブログの名前から本を取りました(笑)

本を読むときは連続して読むので、その時は備忘録を記したいです。

いつものNHKで、「働き方」が軽くあげられていた。

セブン&アイ・ホールディングスすかいらーくヤマト運輸など。
たしかに普段生活していてよく目にする会社。

セブン&アイ・ホールディングスについては、ワタクシも一時バイトしていたのでその内情を少しだけど知ってる。

いまになっての、人材確保が難しいだの勤務時間が長いだの問題になっているけど、怠け者のワタクシからすれば一言でいえば『異常』よ。

婦人服売り場と、時期を異にして惣菜売場にいたんだけど、イベントがあるたびに畑違いでも゛応援゛と称して投入される。
残業は当たり前田。当時からワガママなワタクシは、もちろん毎日の残業への誘いをきっぱり断ってましたが(笑)

節分のシーズンは婦人服売場のワタクシが一日中、太巻きを巻いてましたよ。
それまで1度も太巻きなんて作ったことないのに!
イトヨに太巻きを買いに来た人は、ど素人の女子大生の巻いた太巻きを、お金を出して買っているわけだ!Σ( ̄□ ̄;)

主婦になったワタクシは、恵方巻にそれほどこだわらないから、家族で夕飯を手巻きにしてる。
夫が甲殻アレルギーってのもあるけど…。
それでも、手巻き寿司で充分(笑)
服飾売場はさほどブラックな香りはしなかったけど、やっぱり飲食がらみの売場は人間も殺伐としていて居心地悪かった。
さっき作ったばっかりな寿司や惣菜も、閉店だからって全部ゴミに棄てる。
異常でしょ?

食糧難はなにも海外だけじゃないのに。
閉店処理が精神的なキツくて(人間も邪悪なオバハンばっかで)すぐ辞めましたよ。

ちょっと前にイトヨの食品売場で、レシピ開発する専門の人がいて、やりがいがあるだの言ってたけどあの手の大手はブラックであることは間違いなし。
観ていて、胡散臭すぎた(笑)
体裁のためならなんでもやるから、まあそんなもんだよね、どこも…😞💨

ネット通販が主流になった今、運送業も辛いという。
近くにほしいものがないから家まで届けて~!
って、気持ちはわかるけどなんかそれって実は結構なわがままですよ。
ワガママなワタクシがいうから相当です(笑)

車を持っている人口は多いんだから、取りにこれる人は最寄りの営業所まで受け取りに行くとか、ちょっとは職員を労ろうよ。
そして、会社ももうちょっと社員を可愛がってあげてほしい。
なんでもかんでも、
『やります!できます!力の限り!!』
ってスローガンあげるのも、無理して当然っていう、狂った日本の美徳を増長してるよ😱😱

今の日本に必要なのは優秀なな労働力じゃなくて、
『出来ないことはきっぱり断る勇気!』これのみ。

おもてなしやら、思いやりやら、日本のホスピタリティーにスポットがあてられてるけど、それは余裕のある人がやることであって、今の疲弊した日本に本当の意味でのおもてなしは無理だと思う。
24時間は必要ありませーん!
従業員も客も、はよ家帰って寝ろっっ!!

3年後のオリンピックまでに、日本人が真のホスピタリティーを取り戻せるよう、いまの働き方を見直すべきでしょうね…。

ちなみに、家の前にあったセブンがつぶれたけど、もともとコンビニに縁の無いワタクシには痛くも痒くもありゃーせん。
むしろコンビニが病的に多いこの国は狂ってるよ?
みんな~目を覚ませー!!

日常にひそむ鳥肌ものの恐怖

何が怖いって、やっぱ生きてる人間っしょ…

トリハダ

トリハダ

5年以上前から話題だったんですなっ。
今になって知りました(汗)
世にも奇妙な物語が大好きで、毎シーズンの特番を楽しみにしていたワタクシ。

しかし、最近やりませぬ( TДT)
フジテレビ、いろいろ変わったんかな。

奇っ怪なのが好きで、週末夜な夜なミステリーを観て発散してたけど、こんなワタクシの好みにどストライクな番組があったなんて!

もしかしたら、ビデオ屋さんで目にしてたかもだけど、幽霊もののコーナーに並んでたから勝手にお化けさんが出ると思ってスルーしてたんだな(´д`|||)

奇っ怪な物好きだけど、小心者故、お化けさんが主役なのはNGです。
心霊怪奇現象は消化できないから観たくない。

でも、トリハダには決まり事があるようで、
⚫お化けさんなど心霊現象を出さない
⚫音響などで恐怖心を煽らない
⚫極力無駄な演出をしない
など、「人間の業の深さゆえの不可思議な現象」の作品なのがもうキュンキュン💘(変態か)。

メインストーリを谷村美月さんが演じてて、要所々々に短編ストーリーが組み込まれている。
回を増すごとに怖さもストーリーの巧妙さも増してきて、一気読みならぬ一気観してしまった。

ちょっといっちゃってる系の女性が、幽霊じゃない生身の人間な筈なのに、表情とか全く読めなくてメチャクチャ怖い‼

とくにトリハダ5から出てらっしゃる、笹野鈴々音さんの演出といったらっ、もう!!
怖いんだけど、またあの表情を拝みたくなる。
なんというか依存性をもつホラー女優さん。
彼女が演じないなら、観るかいがないよってくらい。

無駄な演出を一切排除しているゆえに、リアリティーのあるむき出しの恐怖が観る者を襲います。

そしてすべてのストーリーは、どこか寓話のようで、゛こうゆう悲劇はあなたのすぐそばに、いつでもあるんですよ゛的な、゛あなたもすでにその引き金を引いているんじゃないですか゛みたいな含みを感じさせます。

(以外弱冠ネタバレ)
例えば、社会人としてなかなかうまく立ち回れない。みんなは当たり障りなくうまくやっている。簡単な報告書すらうまく仕上げられない。上司は自分のミスにイラつき攻撃してくる。でも仕事は辞められない、やらなきゃならならない目の前の仕事もどうしたら良いかわからない。
ああ、もうどうしたらいいんだ…。
あれ?今上司の大事な写真シュレッダーしちゃったきがするぞ。ヤバイ、もうこれ以上怒らせられない。どうしたら許して貰える⁉
なにか、なにか自分のなにかを犠牲にするしか、そうだ、ここに手を入れて…そうすれば赦してくれるだろうか…ガガガガ…

同調圧力が強く、強いものの雰囲気に屈してしまいがちな我らには切腹という自己犠牲がありましたね。
詫びをいれるためには簡単に自分に刃を向ける精神を揶揄しているのだと思った。

そうゆう、現実に則したエグいストーリーがめじろ押しです。

こうして自分には無関係だと思っているから、面白半分でみてられるけど、あなたにもこんな悲劇や恐怖が訪れますよー、と言われてるようなもん。

いやだ!お化け屋敷すら入れないのに(涙)
スイマセン、スイマセン!面白半分で観ましたです!

と、心のなかで叫びつつまた次の話を観てしまう…

そう、それが人の常、人の業なんで…。

妻を殺したかった男

妻に殺意を抱く男性は結構いる模様(汗)

TSUTAYAにDVD返却を頼むと、かならずまた借りてくる夫。
律儀だ(笑)

しかし、今回は借りてきたタイトルを一目みて吹いた!Σ( ̄□ ̄;)
『ライク ア キラー 妻を殺したかった男』

え!?ウチ、殺されそうなの?
夫、密かになにか企んでんのん‼

とりあえず訊いてみた。
「あのー、これは予習ですかな?(*´・ω・`)b」
いや、たしかに身に覚えありすぎだけどね!!

問題のストーリーは。
1960年代アメリカ、バスの停留所(サービスエリア的な?)で女性の遺体が見つかった。
犯人は依然として見つからず。
鋭い刑事の一人が夫(キンブル氏だったかな)を疑う。

そんな新聞記事を建築家でサスペンス作家のウォルターが注目しスクラップする。
ウォルターには神経質で精神的に不安定なクララという妻がおる。
ウォルターはとりあえず、クララと仲良くしようとそれなりに頑張るんだけど、クララは機嫌の良いときが無いくらいいつも不機嫌。

男はだいたい、おおらかで明るい女がいいんだよね(笑)
ホームパーチーで知り合った、どこか自由でおおらかな女性、エリーにウォルターは一目惚れ♥
鬼太郎の髪の毛の様なアンテナがびんびんのクララには一瞬で見破られる。

画面ではウォルターとエリーは最初あまり出てこないから、観てる方はクララの妄想だろうと思わされる。

やたらヒステリーなクララは、ウォルターとの口喧嘩である日自殺未遂をおこす。
ウォルターの気持ちはもはやクララから遠く離れ、離婚の二文字しか頭に浮かばん…。

ところがある夜、クララの母親が危篤という連絡が入りクララは夜行バスで母の元へ…この時も二人は険悪(笑)
ウォルターはクララを追って車を走らせ…。
次の日クララは橋のしたで遺体で見つかる😱😱😱

これ以上はネタバレになりそうなんで控えます。

見所は、キンブルとウォルターの類似性。
ウォルターは始め、自作の小説のネタのつもりでキンブルの記事を見てたけど、だんだん自分と重ねていたんだろうね。
キンブルはウォルターで、ウォルターがキンブルみたいな。(もちろん別人ですよ)

とにかく、ウォルターがイケスカナイ男で💢
観ていてものすんごくイライラする(#`皿´)
そもそも、笑顔が胡散臭い。
キンブルも最初可愛そうな疑われ夫だけど、終盤に向かうに従いなんか怖い…

で。
結局は妻を殺したかっただけなのか?
それとも実際に殺したのかってのが投げかけられる謎🔎🔎🔎
そう。そこ、ミステリーだから(笑)

さすが、先勝国アメリカ。
1960年代の生活レベルが日本の比じゃない!
日本、よく頑張った‼
いろいろエキセントリックな文化と、自虐の国民だからこそできた、今があるんだと痛感しましたよ。

前にも、夫婦とは究極の人間関係だとブログで書きましたけど、元他人同士だからこそ距離感を気をつけないとなまじ、「愛しさ余って憎さ100倍」になりかねない。

愛するって行為は命懸けだ。
血の繋がりのない恋愛に起因する関係の愛ってのは、拗れると本当に厄介だ。

ワタクシも夫に、妻殺しの新聞記事をスクラップさせないよう気をつけないと(笑)

子育てしにくい大国、日本。

またまた朝から素敵な話題を投げ掛けてくれる、NHKよ(笑)

今朝のテーマは゛男性保育士に着替えやおむつがえをさせるか゛だった。

これって、ちょっと前から議論になってたんだね。
二人も子どもがいながら、全く知らなかったぁ。

男性保育士に仕事を制限することを、゛性差別だ゛と主張する側を仮に「男性OK派」、
゛男性保育士には子供達の性に関わることを業務からはずすべき゛を「男性NG派」🙅とする。

ワタクシの意見は、「男性NG」だ。

「男性OK」派は、男女平等に言及してるみたいだけど、これはまったくもって平等じゃない。

そもそも、男女平等について日本はなにかものすごいごかいをしている気がする。
問題は、何に対して平等であろうとするかじゃないの?

男と女には性差がありますよ。と、
まずそこを無視しては話が進まない。

業務の性差と、人間の性差を混同してはいけないんじゃない?

女性には、男性に比べて体力がないというちがいがある。同じように、男性には母性がないというちがいがある。

みんなそれが悪いことなんかじゃなくて、体の作りの違いと、本能的な機能の違いだ。
これはすごく自然なこと。

運送会社が、女性従業員を労力が微妙という理由で受け入れに消極的なのも正当なことじゃないかな?
だって、運転がうまい女性ドライバーはたくさんいるけど、なん十キロもする荷物を運ばせることに抵抗を感じるでしょ?
やります!っていう人はいると思うよ。女性って元々気がつよいし。
でも精神論じゃなきて、実質的な問題で体に負担がくるでしょう。

おなじ実質的な問題を゛男性保育OK゛派に当てはめると、男性には幼い子どものおむつ替えや着替えはやはり相応しくないと思うわけです。

なぜって?

体の違いや機能の違いがあるでしょうよ。

男の人は子どもを産む?
産まないのが事実でしょう。

そして男性の方が、統計的に性犯罪の加害者であることも考慮すべきでしょう。

男性が悪い訳じゃないんです。
穏やかな男性はたくさんいるし、ワタクシは個人的には、女性より男性の方が優しいとすら思う。
だけど、仕事となるとちょっと違うかな…って。

個人的には信用があれば、おむつがえも着替えも男にやらせればいい、という日本人が多いですね。
でも、本当にその人は信用できるかな?

真面目そうだから?笑顔が多いから?口調が優しいから?明るい雰囲気だから?
そうゆうサイコパスだっているんだよ😱😱

大沢あかねさんのブログが、この件で炎上したとか?
子を持つ親ならたぶんNG派が多くなるっしょ。

問題なのは、そうゆう意見に対して、「嫌なら他をあたればいい」という鬼な意見。
ただでさえ待機児童問題で苦労してる母親にたいしてあまりにも冷たい反応じゃないかな。

意識の問題をあげてるんです。
日本人のモラルの問題ですよ!

性差を個人の判断に委ねる事ほど危険なことはないでしょ!?
だれがその個人的判断に責任もつの?
ただでさえ、責任負うのが大嫌いなことなかれ主義大国日本が、個人の判断に委ねてスマートに処理できるとは思えません。

だから、問題提起してるんだって。
゛まだおむつ替えや、手取り足取りな世話が必要な小さい子の世話は、母性をもつ女性に任せましょう゛と。
そして、゛体力が必要なパワフルな世話が必要な年齢から男性にどんどんお任せしようじゃないか゛と。

ワタクシには、こちらのほうがよっぽど性差を考慮した゛男女平等゛な仕事の在りかただと思うんですがね…。

あと、一番怖いのは個人の意見を尊重できない、「変革渋り派」と「そのくらい我慢すべき派」の血も涙もない冷徹な意見の数々。
背筋が凍りましたよ❄❄❄❄

この国は、個人の自由や意見を「ワガママ」と称して弾圧する傾向が強い。
「私も我慢してやってるんだから、貴方も我慢なさい」的な考え方が猛威すぎる。

「私も我慢したんだから貴方も我慢ね」という社会より、「私も好きにやるから貴方も自由にしてね」の方が楽だと思うんだけどな…。

゛相棒゛はデンマークにもいた

゛俺は悪魔だ゛っていきなり言われてもねぇ…

読書備忘録用のブログなのに、相変わらず映画の感想に逃げました、まぐもでございます。

うちの相棒さんが、またワタクシ好みのを入手してくれました。

この、「特捜部Q」シリーズは第一作目の゛檻のなかの女゛からファンで観ていた。
原作はデンマークの作家、ユッシ・エーズラ・オールセンのサスペンス小説。

アメリカのドッカンドッカンした派手さも、キレのある構成でもないけど、いやだから余計に超リアルなストーリーに引き込まれる。

主人公の刑事カールも、どっか疲れたて冴えないオジサンなんだけど、彼の魅力はもしかしたらがらす細工のように繊細な神経なのかも。
刑事って職業上、ふつうは図太い神経とタフな心身じゃなきゃやってけないよね?
でも、カールはちがう。
「え!なんでそーなるの⁉」
てな行動して、見事に当たってくだけ散るタイプ。
なんだか観ていて歯痒いわ😅

そもそも、特捜部Qとは過去の未解決事件を扱う部署。そこに彼が配属されたのは、カールが仕事で部下を死なせてしまうという失敗をしてしまったからで…。

つまりは、左遷だったんだよね。

相棒のアサドは、イスラム教信者だったかな…。
カールと違って、おおらかで冷静沈着。
どちらかというと、アサドのが仕事できるってか、役にたつお方(笑)

精神的に不安定で神経症気味なカールと、冷静で穏やかなアサドのペアは過去の雑多な思い出に埋もれた事件を掘り起こしては1つづつ片付けていく。

一作目の檻の中の女なんて、5年前の失踪事件の再捜査。
拉致されてるにしても、正直生きてる見込みが…て思えてイマイチモチベーションあがらん(´д`|||)
それでも、持ち前の粘着質な気質で解決に導くカール。

とにかく不器用さん。
高倉健さんを軽く越えるレベルの不器用さで、観ていて痛々しい\(>_<)/
毎回観ていて、転職をつよく薦めたいんだが…。
カールが転職すると、シリーズ終わっちゃうからここはなんとか踏ん張って欲しい。

この作品は3作目に当たるけど、今回のテーマは゛信仰゛なのかな?
人はいろいろな信仰をもってそれを生き甲斐にする人もいる。
゛支え゛であり、心の拠り所でもある。
宗教には種類や宗派があるけど、結局は信仰する人の数だけまた、信じる神が存在する。
何かを純粋に信じる、その信仰の中にその人の神が存在するーんじゃないかな、と。

自分は普段は法事なんかでお経を唱え、結婚式は神社で行い、中高生時代は6年間みっちりキリスト教の祈りをしていた。
そんなワタクシが、゛あなたの信仰する神は?゛
なんて聞かれても、これです!とは答えられない。

作中で、被害者は目の前で兄を殺されたり、子どもを誘拐されたりとひどい目に遭うけど、それは犯人がターゲットの信仰心をもてあそぶためだった。

何かを強く、一心に信じることが恐ろしかったのかも…とも思ったりして。
だって、何かを信じつづけるよりも、疑う方が明らかに簡単だからさ(笑)

犯人は人の信仰心を弄ぶし、カールは信仰を否定して結果、自分を追い詰めるし…

そんなカールに、アサドは何度もいう。
「何を信じようが、その人の自由ですよ。」と。

それは一見、アサドが自分の信仰を正当化しているように聞こえるんだけど、もしかしたらカールに対して、゛もっと自分をケアしてください゛という優しいメッセージを込めていたんじゃないかと思った。

信仰=宗教と捉えがちだけど、信仰を癒しと置き換えれば、これといって特定の神が居なくても、こころの何処かにいつもオアシスがあれば人は強く生きれるものなのかもしれない。
時にあらゆるものを疑ってしまうこともあるけど、必ずまたいろんな事を、人を信じようと思う。

カールが涙を流すシーンがあるんだけど、ワタクシは心のなかで叫んだよ。
「どんどん泣きなはれ!」ってさ。
感情を押し殺すという行為は、実は凄く危険なことで、押し殺された感情はその後徐々に変形しておりのように心の中に溜まっていきます。
正しく表現されなかった、その抑圧された感情は決して浄化することなくむしろ強く嫌な記憶としてとどまりつづける。
これがどれ程心身に悪いことか!!

悲しいときは泣く!
嬉しいとき喜ぶ!
面白けりゃ笑う!
イラッとしたら怒る!
それで良し。

カールにはぜひ、自分の中の癒しを見つけて貰いたい。いい加減、自分が壊れてしまう前に…。
そして荒療治かとは思うけど、事件を通して 自分のなかで自分を癒し、救う術を身につけて欲しいと思う。

次回作、カルテ64?の映画化が楽しみ~♪